草創期の土器 早期の土器 前期の土器 中期の土器 後期の土器 晩期の土器

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縄文

縄文式土器について

先史時代の日本列島において、縄文式土器の登場は画期的な大事件でした。

縄文時代は草早期に始まり、早期、前期と続き中期、後期を経て、最後の晩期までの六つの時期に区分される。

縄文時代に製作使用された土器は、14C(放射性炭素)年代測定値によると少なくともB.C10000年からB.C300年頃にいたる長い歴史を持っているとされている。

それは自然科学的方法で算出した年代観であって、大陸側の遺物との比較による考古学的方法の年代観では、B.C2500年からが縄文時代であるとされている。

しかし、どちらの年代的根拠にも欠陥があると言われており、いまだに決定的結論は出ていないのが現状である。

ではその縄文時代に作られた土器の用途はどのようなものだったのでしょうか?

一般的には煮沸の道具として使用されたが、時代によって貯蔵具として、また釣手形土器や香炉形土器等は祭祀具として使用されていたらしい。

大変興味深いことは、縄文式土器の多くは女性の手によって造られたとされていることである。

しかし私が実際にいろいろな縄文式土器を製作してみると、かなり高度な製作技術がないと作ることができないものが、たくさんあります。

また煮炊き用に作った土器を、なぜこんな使いづらい形に作ったのか不思議でなりません。

現代社会は無駄を省き必要なものだけを残す方向に進んでいます。

しかしそれが無駄か、そうでないかはその時々の人々の考え方によって変わってくるものではないでしょうか。

つまり縄文時代において、縄文式土器の無駄な(現代人の私がそう思う)部分は当時の人たちにとっては大変重要な部分だったのかもしれません。

このように考えていくと、縄文時代がどんな思想や信仰を重要だと思っていたのか、うっすらと解るような気がしてきませんか?



草創期の土器

現在までに判明している最も古い縄文土器は長崎県泉福寺洞穴最下層の豆粒文土器と称される一群である。

豆粒大の粘土を器表面に貼付する特色から名づけられた。

土器の編年は隆起線文系土器群→爪型文系土器群→押圧縄文系土器群→回転縄文系土器群となる。



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早期の土器

草創期の後半、爪形文系土器様式以後、多縄文系土器様式においては土器の表面全体に隈なく文様を施すようになった。

そして、文様施文のための施文具も特別に工夫するようになる。

こうして草創期の多縄文系土器様式が終わって、早期になると土器の様式は大きく変化した。

それまで行われていた円形丸底土器と方形平底土器の二本立の形式が崩れて、円形丸底の形式一つになってしまうのである。

早期の土器の種類

(平底土器) (貝殻文尖底土器) (撚糸文土器) (押型文土器) (条痕文土器) (無文土器) (塞の神式土器)


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前期の土器

草創期および早期における縄文土器は、もっぱら食物の煮炊きを目的とするものであった。

それほど長期間土器はそれ以外の目的で作られることはなかった。

ところが、前期になると、縄文土器は煮炊き用以外の目的でも作られるようになってきた。

つまり盛り付け用としての土器を作るようになってきたのである。

前期の土器の種類

(縄文尖底土器) (円筒土器) (黒浜式土器) (北白川下層式土器) (諸磯式土器) (曾畑式土器)


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中期の土器

中期はもう一つの革命の時であった。

焼物としての縄文土器は、依然として関東、中部地方でひとり先頭を切って進んだ。

そこでは、前期に作り始められた盛り付け用の鉢をさらに発達させながら、その上に多くの新形式が加えられたのである。

この動きは東北南部、の大木様式土器にも波及したが、北海道、東北北部および近畿以西には到らず、もっぱら煮炊き用深鉢が作りつづけられ、後進的であった。

それに対して、縄文土器の先進地域の勝坂様式、加曽利E様式、曾利様式、大木様式土器は、さらに香炉形あるいは釣手形土器や有孔鍔付土器などの新形式を加えていった。

中期の土器の種類

(大木式土器) (火焔土器) (勝坂式土器) (曾利式土器) (連弧文土器) (阿高式土器)


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後期の土器

後期になると、何よりも中期に獲得した多種多様な機能はさらに着実に数を増やしていく傾向を示し、そうした新形式の一部は次第に北海道・東北や近畿以西の後進地域にも普及していった。

注口土器の普及も顕著であった。

深鉢や浅鉢、それに注口土器、双口土器、有孔土器、異形台付土器、壷など中期には無かったかあるいは稀であった形式の製作が東日本一帯においてとくに活発で、西日本は低調であった。

後期の土器の種類

(井口式土器) (称名寺式土器) (三万田式土器) (市来式土器)


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晩期の土器

晩期になって東日本と西日本の縄文土器に表われた違いはさらにはっきりした。

これは単なる様式上、たとえば土器製作の流儀に由来するだけではなく、縄文社会・文化の中でやきものとしての土器が果たした役割の内容上の違いとかかわるものであると理解すべきであろうと言われている。

つまり、形式を多数擁する東日本においては、縄文土器は縄文社会・文化にあって、西日本におけるよりも一層多くの機能役割を担っていたものであろう。

晩期の土器の種類

(亀が岡式土器) (安行式土器) (滋賀里式土器) (夜臼式土器) (黒川式土器)

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